父親と子供のコミュニケーション手段として交換日記はいかがでしょうか。
幼児時期から交換日記を開始
最初に交換日記を始めようと思ったきっかけについて書きます。
その頃、会社にいる時間が長くて出勤日はほぼ子供と顔を合わせない時もありました。
帰宅して子供の寝顔を見るのも癒されはしますがやはり少し寂しい気持ちがしていました。
その時、テレビCMか何かで次の内容のようなものがありました。
家の玄関を出るパパに向かって子供が「パパ、また来週」と声をかけます。
明日は我が身かとも思いました。
そのあたりから、子供とのコミュニケーションとして、交換日記を思いつきました。
男子3人のうち一番小さい三男は年少で3歳でした。
まだ、文字はおろかクレヨンでグチャグチャの絵を描けるかどうかという年齢です。
交換日記と言っても何をと思いましたが、簡単な迷路はどうかと、ネットにあるものを手書きで書いて渡しました。
3人分の最初のページが以下です。
三男はまだ文字も読めないので、迷路のスタートとゴールには工夫をこらしました。
スタートであればその位置に「➡︎」「スタート」「Start」と併記したことです。
例え矢印マークしか理解できなかったとしてもそれと共に日本語、英語を自然と意識出来るようにしたのです。
ここから三男には毎日のように出来そうな迷路を探しては手書きでコピーをしていきました。
迷路はスマホでネットのオリジナル画像を拡大表示してノートのページの下に置いて、その上から手書きをしていたので、毎日、結構な作業時間でした。
ノートの紙が厚い時やスマホで迷路の黒線が薄い時は書き写すのに苦労した事を思い出します。
迷路も複雑になっていつからかコピーしてそれをノートに貼り付けるようになってしまいましたが、初期はなぜか手書きにこだわりました。
そのうち、ひらがな、カタカナ、色々な単語の書き写しなど、まるで自作で公文式のような事をやっていました。
うーん、交換日記ではないですね。
でも、年長になるくらいから文字が読めるようになると質問形式のやりとりが始まりました。
お泊まり会での楽しかった事を聞いたり、好きな野菜を絵で描いて答えさせるようにしたりなど。
小学校低学年での交換日記
二男は小学2年生でのスタートでした。
サッカーを始めて約一年が経ち、リフティングを頑張っていた頃でした。
どんなふうに練習しているか、なにか困っている事はないか、仲の良い友達は誰かなどを聞いたりしていました。
時折、リフティングの回数に関連付けて算数の問題なんかも作りました。
その日の給食メニューを聞いてその感想を聞いたり、夏休みや冬休みにやりたいことベスト5やその理由を聞いたりしました。
あとは全く関係のない事、例えば家のドアの数、窓の数を教えてとか、質問もムリヤリな時もありました。
小学校高学年での交換日記
長男は小学高学年で開始しました。
何をして遊んでるのか?くらいからのスタートでした。
下の子に比べて問題を考えるのも大変なので図書館に行っては、クイズや頭の体操のようなネタとなる本を借りてきて、それを元に内容をコピーしたり、アレンジしたりしました。
少し面白い問題があったので紹介します。
中学校での交換日記
中学では、だんだんと収束に向かっていきました。
中学での話を聞くこともほぼなくなり、勉強の内容などを時折聞く程度で定期テストが始まる頃には勉強もあるので長男から順にやめていきました。
私自身も残業規制などもあり、家で一緒に過ごす時間も増えたこともあり、食事時のコニュニケーションやサッカーの自主練を一緒にやることなどで交換日記は過去のものとなりました。
それでも、交換日記を通して何かを子供たちに感じ取ってもらったと思いますし、数十冊に及ぶノートは私の中では宝物です。
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