サッカーの話3

フットサルが始まりました

次男がサッカーを小学1年から始め、リフティング大会での成功体験を経て、4年生くらいからの話です。

次男はAチームに定着し、チームとしては色々なチームと交流戦などを行って強化を図っていました。

そんな中、サッカーにも役立つとのこともあり、週末のチーム練習に加えて平日1日程度フットサルの練習が始まりました。

サッカーは小学生年代は基本的に8人制ですが、フットサルは5人制です。

試合に出られる人数も限られるので選抜メンバーとなりました。

夕方から夜にかけての2時間程度体育館での練習が始まりました。

最初の挫折がきました

ここではある条件をクリアできないと試合形式の練習に参加できないといったことをやっていました。

それは会社から帰って迎えに行きがてら体育館の中をのぞいて明らかになりました。

体育館の舞台で一生懸命リフティングする選手がいる一方、体育館の下の広い方で試合をしている選手がいたので、順番でそうしているのかと思っていました。

練習帰りに次男に聞くと、リフティング100回をクリアできないと試合に参加できないということでした。

次男はリフティングがチーム内では得意な方で、試合にも出ていたので、それを聞いた時はふーんというくらいにしか思いませんでした。

それから1年ほどたった時、自主練でのリフティング中に次男が泣き出したのです。

理由を聞いてみると「サッカーを辞めたいかも」と。

フットサルでの毎回のリフティング試験がイヤだとのことでした。

得意なはずのものがプレッシャーになっていたのです。

それからサッカー自体は嫌ということではなかったので、まずはフットサル練習は辞退させてもらうことにしました。

せっかく続けてきたサッカーをやめるようなことも口にしたので親として気を揉みました。

サッカー自体は継続しました

サッカーだけの練習に戻ると特に嫌になるような素ぶりも見せず、活動を継続しました。

子供はやはり制限などかけずにみんなでボールを追っかけ回して思い切り蹴るということが楽しいのではないかと思います。

その後、次男は6年生になりチームの中ではトップチームとしてやっていくようになりました。

ここでまたリフティングの制限がきます。

100回できない選手はトップチームに属することができないというものでした。

練習では、みんなが試合をしている間、100回をクリア出来ない選手は外れた場所でずっとリフティングをやらされていました。

リフティングを端でしていても、声を掛けるコーチなどはいません。放置したままです。

その規則自体を否定するつもりはないのですが、そのことがいきなり言い渡されたことに疑問を感じました。

チームに高学年から入った経験のない子などは対応できなくなりました。

もしそういった規則があるのであれば事前に周知するのはもちろんの事、6年になる前の学年からケアすることは出来なかったのかと悶々としました。

そのことが引き金となってチームを去っていく子供たちも出てきました。

それまでに色々とあったものがとうとう限界を超えてしまったのだと思います。

最終的に次男がいた6年生はひとチーム分ギリギリの8人にまで減ってしまいました。

そのほか、練習の欠席の扱いについても厳しくなってきて、理由があって休んでもそのあとの試合などでいきなり序列が落ちてしまったりしました。

次男はそんなこともあって練習には行くのですが、6年生の後半から膝の成長痛やかかとの痛みなどが出て、満足にプレーできずに控えに回ることも多くなっていきました。

卒団までなんとか頑張ってチーム活動を続けましたが、そのチームへの愛着などはなく中学の部活のサッカーにシフトしていきました。

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